日経平均株価の下落率上位ランキングをグラフ化してみる
2008年10月09日 08:00
すでに[株式市場雑感(08/10/08)]などでお伝えしているように、2008年10月8日の東京株式市場は金融信用不信と市場の過流動性、そして信用収縮を起因としたファンドの換金売り攻勢などがあり、全面安の展開。日経平均の下落率はブラックマンデー・スターリンショックに続く市場三番目(-9.38%)となった。今となっては未熟といわれても仕方の無い、「金融工学」によって作られた金融商品の暴走と、それを取引する関係者のモラルハザードが引き起こしたともいえる一連の「金融工学暴落」(あえこのように命名する)がいかに大きなもので、歴史的なものかが分かるよう、グラフ化してみることにする。
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まずは日経のサイト上にある、日経平均株価の下落率ランキング。10月8日の数字も反映された、記事執筆時点で最新のもの。
2008年10月8日時点の、日経平均株価下落率ランキング
10月8日の下落を赤で囲ったが、それより上に来るものは「1987年10月20日のブラックマンデー時の-14.90%」「1953年3月5日のソ連指導者のヨセフ・スターリンの死去に伴うスターリン・ショック時の-10.00%」の二つしかない。いずれも歴史に名を残す出来事であることを考えると、いかに大きな「事件」だったかが分かる。
続いてこれを、日経平均株価の記録が残っている1949年以降の株価推移のグラフと共に、下落率上位7位までをそのグラフ上に表したのが次の図。
日経平均株価推移と、日経平均株価下落率上位7位まで(2008年は10月8日時点の株価)(クリックして拡大)
無理やり縮小したのでやや読みにくくなっているが、クリックして細部を確認してほしい(上位7位までにしたのはゲン担ぎの意味と、スペースが無くなってしまったから)。
また、記述にいくつか説明を加える必要があるだろう。まずは1970年の「IOSショック」。これはスイスに本拠地を置く金融コングロマリットIOS(Investors Orverseas Services)の経営危機の噂をきっかけに始まった暴落。ただしこれはあくまでもきっかけに過ぎず、景気後退そのものが露呈しただけだという話もある。
続いて1971年の「ニクソン・ドルショック」。これはアメリカのニクソン大統領がドル防衛政策を発表し、それをきっかけに大きく株が売られたもの。具体的には何の前触れも無く突然、当時まで行われていたアメリカドルと金(Gold)との交換を停止し、変動為替相場制導入を発表、実行したことによる。
最後に1949年の「年末金融ひっ迫」。こちらは連合軍の占領統治下にあった日本で起きた、不安定な経済・金融状態上のひっ迫した経済をきっかけにおきたもの。
このようにして見ると、いかに10月8日の下落が歴史的で特異な事例だったことがあらためて理解できる。この類の記事と上記の図を更新しなければならないような事態がおきないことを心から祈らずにはいられない。
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(最終更新:2013/08/02)
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