号外の多いメールマガジン
2008年06月01日 12:00
宮沢賢治の短編作品の中に『注文の多い料理店』という童話がある。人間性を皮肉った内容とも自然の偉大さ・おおらかさを表したものとも評価されており、色々な解釈ができる素晴らしい作品だ。その偉大な作品のタイトルをもじって申し訳ない気もするのだが、先日メーラーを整理していたところ記事タイトル「号外の多いメールマガジン」のような科白(せりふ)をひとりごちるわけにはいかなくなった。
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「号外の多いメールマガジン」。紫色の部分が「号外」メール。
当方(不破)は趣味、経済など情報収集のために多数のメールマガジン(メルマガ)に登録している。たいていはタイトル部分だけを読んで取捨選択し、中身まで目を通すことはめったにない。申し訳ないがフィルタでスパムを自動除外しても1日1アカウントあたり100件近く到来するメルマガを全部読んで調べていたら、それだけで2日はかかってしまう(……あれ?)。
必然的にタイトルを流し読みする機会が多くなるのだが、その際に「号外」という文字が何度となく使われるものがあるのに気がついた。その一つが上に挙げた、某銀行の連絡用メルマガ。要は「新商品がでましたよ」「こんなサービスが始まりましたよ」「提携しましたよ」などといった広告がほぼ100%を占める。本当に読者に必要な情報なら「お知らせ」などのシステム的な表記を行うのですぐに分かる。
あらためてメールのすべてを見返してみると、「号外」、あるいは見た目が「大切なお知らせ」に見えてもその実、単なる宣伝だったり折込チラシとなんら変わらない内容のものを大量に送りつけてくるところの実に多いことか。
いや、「号外」そのものが悪いというわけではない。そもそもオプトイン形式(了承を得た上で受信する)にしたがっているわけだから、号外だろうと宣伝だろうと「受け取る」と決めたのは自分自身。とはいえ、「号外」の頻度にもほどがある。種類によっては、本編のメルマガと「(中身は宣伝の)号外」がほぼ同じ本数(あるいは号外の方が多い)というものもあった。言葉通り「本末転倒」だ。
例えるなら、「30分のテレビドラマで15分がテレビCMだった」「ハンバーグステーキで添え物のポテトがお皿の半分を占めていた」「新聞の下半分が全部広告だった」というところだろうか。添え物のポテトが好きだったり、少なくとも食べられるものであればまだ許せるが、半ば押し付け的にシェフが「これどうですか、こちらは?」と次々に「お勧め」してくるとしたら、閉口せざるを得ない。たとえシェフが好意をもった上での行動だったとしても。
●パレートの法則
経済学上のお話として「パレートの法則」というのがある。俗に言う「8:2の法則」とも「7:3の法則」とも呼ばれているものだ。要は経済を中心とした社会現象的に「全体の数値の大部分はその構成要素の一部(8:2ならば「2」の部分)が生み出している」という経験則が成り立つ場合が多いというもの。
メルマガの発行側が「色々な情報を告知するため」に発刊しているのなら、号外をひんぱんに出す必要はない。号外をある程度定期的に(どこが号外だ?)出す以上、それが主軸でなくとも「号外を出すこと自体」にもメルマガの発行・存在意義を見出していることになる。そして号外が「宣伝広報」的なものである以上、メルマガの存在意義に「宣伝広告」が多分に含まれるということになる。もちろんそれは悪い話ではない。しかしあまりにもそれが多すぎると、当方のようにうんざりしてしまう人も増えてくる。
2~3割に
とどめるべき
メルマガの号外を「発行側における真の利用価値(=収益の確保や宣伝広報)」と考えているのなら、発行側はパレートの法則に従い全体の2割、多くて3割くらいにとどめておくべきだろう。そうすれば「全体のメルマガの2割にあたる号外で、メルマガ全体の’真の’益をはじき出す」という形を維持できる。これより割合が増えると黄金率が崩れ、受け手に違和感や拒否感を与えてしまうというリスクが増大する。この「2割~3割まで」はメルマガの本数だけでなく、1本のメルマガ内の文章量にもいえることだろう。
メールマガジンに限らずウェブ上・紙媒体の広告も面積比で2割~3割の領域を超えると、その効果が急激に低下する傾向(経験則)がある。これは当方の経験則によるもの。実際に手元のアクセス解析などを元に分析すると、1冊の本が書けそうなボリュームになると思われるので実証・解析は省略するが、足掛け3年近くの当サイト上の運営、そしてそれ以前の当方のむにゃむにゃな経歴から得た経験によるものだ。
面積やエリア単位で広告を販売するのなら、出来るだけ多くの場所を広告に充てた方がいいのだが、多すぎると一つ一つの価値が低下してしまう。そしてその低下率が急速に高まるのが「2割~3割」のラインとなる場合が多い。少なすぎても効率が悪いし、多すぎると媒体そのものから人が離れていってしまう。その「ぎりぎり」の線が「2割~3割」となる。
だれだってキャベツ5割・フライ5割の「ランチフライ定食」など食べたくはない。キャベツが許される、そして添え物として効果を発揮するのは、やはり2割から3割。それくらいの量なら、キャベツはフライの味をかきたてる「添え物」どころか「ランチフライ定食の立派な脇役」になる。
当然のことだが、面積比云々以前に受け手側、メルマガやウェブサイトなら読者側、がどのような人たちで、どんなものを望んでいるのかを考えるのはいうまでもない。記事をはじめとした内容はもちろん広告ですらも「相手がして欲しいと思うこと、欲しいと思う情報」を提供するのが最低必要条件(上記の「ランチフライ定食」なら、キャベツの代わりに塩辛が2割で、オーダーしたお客が塩辛を嫌っていたとしたらどうだろうか)。
その観点から考えると、記事内容にあわせて広告を自動的に選択してくれる、昨今のトレンドでもある「コンテキストマッチ広告」は非常に便利で、かつ配信側・読者側双方にメリットを与えてくれるものといえる。広告を単なる広告としてではなく、記事を補完する「補足資料」的なものに押し上げてくれるからだ。
世の中はすべて公式で説明できる。どこぞで聞いた言葉で耳にした当時は「そんなもんかな」という程度で受け流したものだが、案外その通りなのかもしれない。
(最終更新:2013/09/06)
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