「しらせ」の後を継ぐものは「しらせ」
2007年11月14日 06:30
【中日新聞】などが伝えるところによると、政府の【南極地域観測統合推進本部】は11月13日、先に応募していた南極観測船「しらせ」の後継船の名前について、現行船同様に「しらせ」とすると発表した。公募段階では現存船舶名は選考対象外だったが、「しらせ」の由来の人物の地元などから船名存続の声が相次ぎ、さらに選考基準を大幅に変更、結局元のさやに納まる形となった。
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【「しらせ」の後を継ぐ船の名は? 南極観測船の新名称募集中】にもあるように、南極地域観測統合推進本部・国立極地研究所では「宗谷」「ふじ」「しらせ」に次ぐ四代目となる南極観測船の名前を9月10日締め切りで公募していた。この新観測船は、来年春に引退する現行「しらせ」の後を継いで2009年度から活躍する予定。
元記事によると選考基準に基づいて1万9000件ほどの応募があり、もっとも多かったのは現行「しらせ」の名前の由来である、日本の南極観測の先駆者・白瀬矗旧陸軍中尉が命名した南極の地名「大和雪原(やまとゆきはら)」に由来する「ゆきはら」で770件ほど。「現行船舶の名前は対象外」とするルールにも関わらず、「しらせ」にも240件ほど応募があったという。
通常なら「ゆきはら」で決まり、のはずだったのだが、応募締め切り後白瀬中尉の出身地である秋田県にかほ市の小学生らから船名を継続してほしいと訴えるハガキが700通ほど届き、推進本部でも「応募と手紙を合わせれば断トツの1位になる」(700+240=940)と急きょ選考対象に追加。「世界に認知されている」などの理由もあわせ、結局「しらせ」に落ち着いたという。
小学校からだけで700通となると、世間一般に言われるところの「組織票」ということになるのだろう。公的機関の公募において、地元の事情で既定のルールを変更し、まさに「ちゃぶ台返し」的な形で決められてしまうのは(ほほえましい事情はあれど)腑に落ちない点がないとはいえない。
仮に「ここは原点に戻って『宗谷』にしてほしい」という意見が宗谷岬周辺の地元の人たちから多数寄せられたら、どう判断したのだろうか。また、野暮な話だが、「入選者のうち1名は進水式に招待」などの記念品も、このままでは「ルール規程外」の応募者が該当することになってしまう。
恐らくは本日以降の南極地域観測統合推進本部などで詳しい事情説明や、事後処理などについて説明があるのだろう。しかし、美談と呼ぶには少々間が抜けている話なのかもしれない。
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