「ゲームはお金だけ持っていって、子供の時間奪ってます」内閣知的財産戦略本部構成員の東大教授は語る

2007年04月20日 06:30

ゲームイメージ現在政府主導で内閣知的財産戦略本部内にコンテンツ専門調査会が設置され、アニメやゲームなどのエンターテインメント分野における日本の「コンテンツ」を全面的にバックアップし、日本の文化として誇れるようなものとし、輸出事業の一つにしようという動きがある。その中で、同調査委員会メンバーで東京大学大学院の浜野保樹教授が「ゲームはお金だけもっていく。子どもの時間を奪っている」という主旨の発言をしていることが明らかになった([このページ(Sankei Webなど)は掲載が終了しています])。

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記事の中で教授はフランスやアメリカを例に挙げ、料理やファッションなど独自の路線に基づいた「文化の輸出」を行い、成功を収めたとした上で、日本も「ジャパンブランド」を立ち上げてその伝達ツールとして日本食をはじめとしたさまざまなコンテンツを展開していけばよいと主張。

その具体的なツールとして映画は他国の影響力にかなわないとした上で、アニメやゲームについて、特にゲームに対し次のように言及している。

ゲームについては、ぼくは異論がある。アニメや漫画は感動をもたらすけれど、ゲームは、お金だけ持っていって、子供の時間奪ってますね。その人生にプラスアルファがない。宮崎さんとか他のアニメ見て、人生変わったという人はいると思います。心ふるえるほどの感動とか、ゲームは若干難しい。ビジネスとしてはいいかもしれないが、恨みをもたれる。かつてのエコノミックアニマルのコンテンツ番みたいにね。敬意も払ってくれない。


よほどゲームで痛い目にあったのか、あるいは偏見を持っているのか、と溜息混じりでつぶやきが出そうなコメントといわざるを得ない。また、このような発言がよりによってコンテンツ専門調査会の構成員から出るあたり、政府主導の政策への期待度が半減してしまう想いを持つ人も少なくないだろう。

ゲームはもちろんだが浜野教授が感動をもたらすと例示しているアニメや漫画にしても、そして映画や書籍など他の「文化」と呼ばれるものにしても、興味がない人には心に響く影響を与えることは難しい。また、逆説的な話になるが、「感動するためにアニメや漫画、ゲームをみたりしている」わけではない。

「感動が無ければ文化じゃない」という主張は、どこぞの三流キャッチコピーのようでしかない。このような的外れな主張のもと、政府主導でアニメや漫画、ゲームなどを日本の文化として推し進められたのでは、あらぬ方向に誘導されて何もかも台無しにされそうな懸念さえ生じてくる。

また、「実益がないから文化じゃない」という主旨の主張にも問題がある。人々の生活の中で余裕な時間や心境の中で育つのも、また文化といえる。そして現実的な結果を求めるものだけが文化という定義は決して正しくない。単に「感動がないから」「お金を使うだけだから」という視点だけで「ゲームは文化から除外」とするのは、視野が狭すぎる。

そもそも「文化」とはどのようなものなのか、明確な定義づけをした上で「ゲームは時間ばかり浪費してお金も稼ぐことが出来ない。人生にプラスにもならず感動も得られないから、海外に展開してもうらまれるだけで敬意も払われない。だから文化足りえない」という主張について、明確で分かりやすい論拠を述べてほしいものである。

「平時には無知でもかまわない。ただしそうでない時には無知はそれだけで罪になる」という言葉がある。無知でその上愚かなら、その人の罪はどれだけのものになるのだろう。今回の元記事を読んで、そのような考えすら頭に思い浮かんでしまう人はどれだけいるだろうか。

少なくとも一人は居ることは間違いない。

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