「給料が上がらないのは人件費を減らして利益を上げねばならないから」のカラクリにダウト!?

2007年02月10日 14:30

格差社会や一定基準以上の給与取得者に残業を無くす「ホワイトカラーエグゼンプション」、そしてこの時期の恒例行事である春闘など、給料体系に関する話がちょくちょく耳に入るようになった。このような時期からだろう、先日Sankei Webにて(恐らく産経新聞からの転載だろうが)「国際政治経済学入門」と称し、[このページ(Sankei Webなど)は掲載が終了しています]という気になるタイトルのコラムが掲載された。

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詳細は原文に目を通してほしいが、簡単にまとめると次のようになる。

1)企業業績は向上して景気も拡大。でも社員の給料は上がらないという現状。
 ・国際競争が激化しているので原価を下げざるを得ない。
 ・株主に利益を還元する必要性→利益は株主に配分。
2)1990年後半からリストラや資産切り売りでスリム化は一段落。
3)「残る手段はひとつ」、人件費を減らして利益を上げねばならない。
 ・安価な労働力の人材派遣や請負業に頼る。
 ・ドイツも同じ現象。
4)だから(格差社会も)仕方ない。


「だがちょっと待って欲しい」……と書くと昨年ある新聞の的外れコラムの書き出しのようだが、あえてツッコミ、あるいは「ダウト」を入れてみる。

確かに「安易な方法」として2)→3)は考えられるだろう。1)や2)は理解できる。ワールドワイドな経済市場が構築されれば、人件費や原材料費が安い国との競争も激化する。しかしそれらと3)を直接結びつけ、他の要素をすべて排除する必要性はどこにあるのだろう。1)と2)の結論・現状認識から導き出される答えは3)だけだろうか。

一言で言い換えるのなら、「利益水準を上げるには人件費を減らすしか方法が無い」のだろうか。すべての会社がこの結論に達しているのだろうか。他のもので分かりやすく例えるなら「ダイエットをするには食事の量を減らすしかないのか」というところだろうか。

いや、そんなはずはない。

例えば、最近ゲーム業界・株式市場で話題をさらっている[任天堂(7974)]を例に挙げてみる。WiiやニンテンドーDSの好調さで著名な会社ではあるが、当然世界規模に商品を販売している。為替の影響を受けたり国際競争の波にさらされるという観点も他の大手企業と変わらない。その任天堂が、「利益水準を上げるために人件費を減らしている」という話はとんと聞いたことがない。

会社四季報などから、任天堂の従業員の平均年収を導き出してみる。手元にあるのはごく一部のみなので穴だらけのデータだが、大体は把握できるはずだ。

2007年……899万円
2006年……857万円
2005年……838万円
(この間、資料不明)
2002年……812万円
2001年……805万円


【任天堂(7974)の株価が16年半ぶりに上場来最高値を更新】にもあるように、任天堂はこの時期、会社の体制変更や為替変動などで株価が大きく下落する事態を迎えている。DSが発売されて以降はともかくとして、それ以前、特に山内前社長退任前後は「昔の光今いずこ」といわんばかりの状態にあったことを記憶にとどめている人も少なくないだろう。

にも関わらず従業員の年収水準は下がっていない。そして任天堂の利益水準が下がっているかというとそうでもなく、むしろ鼻血が出るほどのうなぎ上り状態にある。それを反映して株価も急上昇中であるのは、耳にタコが出来るほどお伝えしている通りだ。「利益水準を上げるには人件費を減らすしか方法が無い」というルールが世界共通の大原則であるのなら、任天堂の事例はどうなるのだろうか。

確かに、「リストラはした、資産の切り売りもした」のなら、「あとは人件費の削減だ」と考えるのは簡単だろう。そして経営陣の耳には「周りがやっているから自分らもやってしまおう、あとで何かあっても『当時は周囲の雰囲気として』とでも説明がつく」という誘惑のささやきが聞こえているのかもしれない。

だがその時点で、短期的にはともかく、中長期的には失策をしているかもしれないという考えは思いつかないのだろうか。人件費の削減は(遊んでいる役員なり顧問を切るなどのムダを省くのならともかく)従業員のモラル低下を招く。請負や派遣に任せたのでは技術や経験の蓄積という「お金では買えない」会社の財産を育てず、どぶに捨てることになる。「自分らが経営者のイスに座っている間だけどうにかなればいいや」というのなら、企業の大原則である「ゴーイングコンサーン(企業は永遠に継続しなければならないとするもの)」に反することになる。一言で例えれば「利益の食い逃げ」のようなものだ。

要は、「人件費を削減しなければ」という思考に結びつくのは、その経営陣が「会社がどうすれば現状において成長していけるのか」という企画を立案できないスキル・能力の無さをごまかすからに他ならないから、といわれても仕方ないのではないだろうか。

先のダイエットに例えれば「体重を減らすためには栄養管理や運動、体の肥満遺伝子検査などをせずに、とにかくご飯を食べなければ良い。身体がおかしくなっても、目標値にまで体重を減らせればよい」と指導をするダイエット専門講師のようなものである。その講師にしてみれば、どんな手段をとっても「体重を減らす」という一義的目標は達成させられるのだから文句を言うな、ということだ。二言目には「人件費削減」を騒ぎ立てる企業の経営陣の方々は、そんな講師と生徒を見て、「なんて短絡的なことをしているのだろうか」と笑えるだろうか。

無論、すべての企業に「任天堂たれ」というのは的外れな話。環境、体質、商品構成、市場、あらゆる面で企業それぞれの事情がある。とはいえ、「国際競争力のある商品の展開」「本当の意味での人材育成と、その人材を活かせるシステムの構築」など、参考にすべき点は少なくないはず。


GEの建て直しに貢献したジャック・ウェルチは優れた経営者であったが「本当に優れているのは彼自身ではなく、彼の才能を見抜いて採用した彼の上司である」という話がある。また、古代中国の漢帝国を築き上げた劉邦は幼いときに自らを「空っぽの器」と称し「だからこそ有能な心材をいくらでも納めて活用することができる」、自分はその「器」であれば良いとした。

人件費の削減により、ジャック・ウェルチ足りうる、「器」に入るべき人材をみすみす逃すどころか、新たに育て上げる土壌まで奪っているのではないだろうか。

能力に欠ける経営陣が優秀な経営陣を抜擢できずに(あるいはせずに)「利益水準を上げる」という課題に対し人件費削減という「誘惑のささやき」に従う。それは単なる責任転嫁に過ぎないのであって、真の解決策ではない。

「人件費削減」が「利益水準を上げる」のに本当に正しい手法なのかどうか。即効性は無いのですぐに解答は出ないだろう。だがじきに、静かに、確実に結論が出るに違いない。そしてその仮説が正しいとすれば、一度失った「本当の利益水準上昇のための要素」を再び得るには、一時的に得た利益の何倍ものコストを強いられることだろう。

だからこそ、「今の企業にとって、利益水準を上げるために残された手段は一つ、人件費を減らすことだけである」という主張には、あえてダウトと言わせてもらうことにしよう。

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