2月7日は「北方領土の日」
2007年02月07日 06:30
本日2月7日は日本と帝政ロシア(当時)が1855年に両国間の国境を定めた日露通好条約(日露和親条約、下田条約)が結ばれた日であることから、「北方領土の日」と定められている。【内閣府】をはじめ関連省庁や団体では、この日を含む2月を「北方領土返還運動全国強化月間」とし、さまざまな運動を繰り広げている(【発表リリース、PDF】)。
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北方領土、つまり択捉島(えとろふとう)、国後島(くなしりとう)、色丹島(しこたんとう)、歯舞諸島(はぼまいしょとう)の「北方四島」については例えば【内閣府内の北方対策本部サイト】などで山ほど語られているので詳細はそちらを見て欲しいが、簡単にまとめると次のようになる。
1855年 日露通好条約で北方領土を日本領土とする線引きで日本と帝政ロシアの国境が決定。
1943年 連合軍代表国によるカイロ宣言。第一次世界大戦以降に日本が諸外国から獲得した領土を返還させる主旨。
1945年8月8日 ヤルタ会談の決定に基づき日ソ中立条約を破棄してソ連が対日宣戦布告。
1945年8月15日 日本、連合国に降伏。
1945年8月28日 北方領土にソ連軍侵攻。9月5日までに四島すべてを占領。
ということで、「手を挙げた後に侵攻して領土をかすめ取った、火事場泥棒的行為」で北方領土は不法占拠されている、というのが日本側の主張。
ロシア(帝政ロシアやソ連も含む)は基本的に「どんな手段であろうと一度手にした領土は返さない」というのが政策の根底にある。今や各共和国ごとに分裂してしまってはいるが、おおもとの考えは同じ。その原則からいくと、北方領土の返還はきわめて難しい話となる。
一時は「三者一損」の例えではないが、両国が二島ずつ分け合いましょう的な話をロシア側が提案してきたこともあったが、結局「不法占拠されているのに半分で我慢しろと相手の提案にのるとは何事だ」ということから日本側では一蹴するなどの経過があり、現在にいたっている。
米ソ冷戦時代の終焉で、日本北部における戦略拠点としての北方領土の重要性は低下した(冷戦当時のシミュレーションゲームでは、北海道に侵攻するソ連軍が北方領土を出発点としていたものだ)。しかし日本の「かなめ」という考え方における戦略拠点であることに違いはないし、水産資源をはじめとする各種資源問題、当時各島に住んでいた人たちの権利回復、そして何より「法的根拠も無いのに自国領土占領されて黙ってたら他国にも軽んじられるぞ」という外交的観念もあり、北方領土返還問題は今世紀に入っても盛んに論じられ続けている。
普段は「そんなの興味ないネ」として気にも留めない人も、今日一日くらいは北方領土に想いをはせてみてはどうだろうか。その意味では、「北方領土の日」である今日は、歴史を学ぶよい機会かもしれない。
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