任天堂のWii発表会を伝えるコンテンツに見る、情報配信とメーカー・読者・報道媒体との関係
2006年09月19日 19:00
先に【任天堂(7974)、次世代ゲーム機「Wii」を今年12月2日に25000円で発売すると発表】でも報じたように先日[任天堂(7974)]が次世代家庭用ゲーム機Wiiに関する発表会を行い、同時に公式ページで大々的に情報の公開を実施した。その際、任天堂がそのサイトで39分にもわたる【同社岩田社長のスピーチを動画で配信した】のには驚かれた人も多いだろう。
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この配信された動画を見て、プレゼンの場にいるかのような感覚にとらわれた人も少なくあるまい。この件につき、【デジモノに埋もれる日々】で面白い……というより納得させられる分析が行われていたのでここで改めて紹介しておく。
詳細は上記リンクから元サイトを参照して確認してほしいのだが、任天堂の今回の行為は「情報発信メディアを経由することなく直接情報を第三者に、一次ソースとして配信する」という点に意義があるとしている。そしてメーカーが発する情報と読者との間の情報伝達のプロセスとして
A)インターネットの普及以前
「発信元」→「商用ニュースメディア」→→→→→→→→→→→→「読者」
B)インターネット普及後
「発信元」→「商用ニュースメディア」→→→→→→→→→→→→「読者」
「商用ニュースメディア」→「個人などのサイト」→「読者」
C)ブロードバンド普及後(現在)
「発信元」→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→「読者」
「発信元」→「商用ニュースメディア」→→→→→→→→→→→→「読者」
「発信元」→「商用ニュースメディア」→「個人などのサイト」→「読者」
※B)C)では「発信元」→「個人などのサイト」→「読者」という流れもあるが、ここでの論点からは外れるので省略。
とさまざまなルートが増えているとしている。任天堂の今回の動画配信は、C)の一番上のダイレクト配信の中でも、動画という「そのまま素の情報」を提示したということで意味深いものがある(元記事の図版が非常にわかりやすい。ぜひ見てほしい)。
「配信元」と「読者」との間にクッションが入ることで(言い換えればフィルターがかかることで)、情報を精査したり分析したり説明を加えたり追加情報を盛り込んだりなど、さまざまな解釈を加えながら独自の情報として「読者」に提供しているわけだ。「商用ニュースメディア」や「個人などのサイト」では、「1を(配信元から)聞いて10を(自らが)知り、5を(読者に)伝える」というスタイルを採っていると解釈することもできよう。いや、読者に伝えるのは1でも10でも20でもいいのだが。
「デジモノに埋もれる日々」では任天堂の今回の動画配信の動きを、任天堂が次のように主張していると読んでいる。
『 多くの商用ニュースメディアが、色々な伝え方をするでしょうが、
私たちは私たちで、その想いを直接みなさんにお伝えします。
そして、どう解釈するかは、みなさんにお任せします ・・・』
配信元にとって直接読者に情報を伝えることは、本来の意図と違った形で情報が解釈され流れてしまった場合の保険となる、とも分析している。
ある特定の発表(「配信元」)に対し、ある「商用ニュースメディア」はAという解釈をして「読者」に流してしまった。しかし「配信元」はどちらかといえばBを意図していた。それは発表を聞いた人によって解釈が異なることだろう。その時「配信元」が直接「読者」に語りかけていれば、「あなたに直接私たちの声をお届けします。どう解釈するか、A? B? それはあなた自身の問題ですよ」という「保険」が活きてくる。
ちょっと本筋から外れ、かつマニアな話になるが、かつて講談社の月刊誌アフタヌーンで掲載されていた『砲神エグザクソン』という漫画で、終盤において次のようなエピソードがあった。
主人公に敵対する勢力が事実と異なる情報を流して世論を誘導するという情報戦を展開し、主人公側は窮地に追いやられる。そこで主人公側は、加工できない透かしが入った(作品中では「Ω規格」と呼んでいる)マスターテープの動画を流し、一般視聴者だけでなく放送スタッフにいたるまで、事実たる情報を知らしめ、情報戦に勝利する、という内容だった。
まさに「真実をありのまま、加工せずマスターのまま流すことが保険になる」という良い例だろう。もちろん今件では「配信元」と「商用ニュースメディア」が対立しているわけでもないし、両社の間で情報戦が展開されているわけでもないが(笑……とはいえ時と場合によってはそれに近い状況が起きうる場合もある)。
少なくとも任天堂では(当方が知る限り)発表会のほぼすべてにおいて独自にビデオカメラを回して収録を行っている。アップロードこそされないまでも、記録としては保存していることだろう。「デジモノ」では「流し撮りビデオの全公開、というのは、それだけでソースとして強烈なモノです」とも述べているが、これも十分に理解できる。当方がかつてライターだったころ、山内前社長のある講演会のスピーチのテープ起こしをして完全収録し掲載したところ、凄まじいまでの反響があったからだ(これについては機会があればあらためて披露することもあるだろう。ここで、とは限らないが……)。完全一次情報は時として、ダイヤモンドの原石のような価値を持つ場合もあるのだ。
メーカーのダイレクト配信による一次情報、そこからもたらされる情報を精査し「加工」して新しい情報として精製する二次情報、あるいはそれをさらに参考にして創られる三次情報(孫情報)。それぞれのニュースの位置づけが明確化されつつある、ネットとブロードバンドの普及でそんな時代が来ているのかもしれない。
■関連記事:
【「1.5次情報」という考え方~昔から考え、そして今、目指しているもの】
(C)Kenichi Sonoda 2004
(最終更新:2013/09/16)
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