SNSを社会交流に役立て、すべての年齢層向けのツールにするために必要なこととは
2006年09月23日 07:00
【CNTE Japan】にて、【mixi(2121)】の上場で一躍注目を集めるようになったソーシャルネットワーキングシステム(SNS)に関するひとつの問題提議が行われていた。原文はアメリカのものだが、非常に面白い観点によるものなので取り上げてみる。要は「SNSをもっと幅広い年齢層に開放しよう」「さまざまな可能性があるぞ」「ではそのためにはどうすべきか」ということを述べている。
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現在のアメリカでのSNSの傾向として、その大半が若者向けとして提供され、人気SNSの上位を占めているのは皆若者の好みに合わせたもの。アメリカ人の3人に2人がSNSを利用し、若者の約9割がインターネットにアクセスしている。携帯電話の世界になるともっとこの傾向は顕著になり、18~27歳の米国人の63%以上がテキストメッセージを送信。テキストメッセージ送信数は、2年後には現在の10倍にまで増えるとの予想もある。
彼ら若年層に向けてはさまざまなSNSサービスが提供されている。が、その一方で「低所得層」「技術に触れる機会が少ない人」「高年齢層」にはSNSは、有益なサービスをほとんど提供していないという。人数の規模でははるかに大規模であるにも関わらず、だ。
元記事ではこれら「大規模な人たち」にSNSが使用され、社会公共インフラのように用いられるとどのようなメリットが得られるのかについて、一例が提示されている。概要としては次の通り。
・ご近所ソーシャルネットワーキング
自分のご近所さんを探し出すSNS。たとえば趣味趣向を語ったプロフィールを公開することで、新たな出会いのきっかけを求めることができる(いかがわしい出会い系サイトではない)。
・教育ソーシャルネットワーキング
教育関係担当者と当事者(生徒)が学校を基盤としたSNSに加入。学校関連事業について、学校の内外の人たちの交流が図れる。
・社会奉仕ネットワーキング
家庭内暴力の被害にあった人や刑務所から出所したばかりの人などが、安価な無線デバイスを使用して、地域で提供されているさまざまなサービスに直接アクセスできる。相談窓口を見つけられずに人生を悲観し、過ちを繰り返すという悲劇を防ぐことができる。
・ホームレス支援ソーシャルネットワーキング
通りすがりの人が、今までのように25セント硬貨を手渡す代わりにワンクリックシステムを使用してホームレスに救いの手をさしのべることができる。地域サービスにも直結可能。いわば「電子投げ銭による支援システム」。
もちろんこれらの仕組みを取り入れるためにはそれぞれの該当者に対する「使用料金やハードの未所持などからサービスを利用できない」というハードルを取り払い、また「情報にアクセスし活用する手法が難しい」という技術的なハードルをクリアさせる必要がある。
……という論評なのだが、視点としては非常に面白い。一言でまとめると、元々「インターネット上の井戸端会議」的な意味合いの強いSNSを本当の「井戸端会議」のレベルまで難易度を落として参加者を増やし、もっと色々なツールとして活用させようというコンセプトだ。そのためには最新の小難しい技術も派手なビジュアルも必要ない、必要なのは「道具」「手段」であり、SNSそのものを「目的」としてはならない、ということ。
だがよく考えなおしてみると、このような使い方をするSNSは、インターネットが普及する前のパソコン通信時代における掲示板の使い方そのものではないか、というイメージがある。
当時は常用定額接続制度が一般家庭向けには存在せず、ダイヤルアップで「普通の電話をかけるのと同じ料金体系」で通信をする必要があった。遠くにホスト局(インターネットにおける「サイト」のようなもの)があるパソコン通信のホストで書き込みをしたりチャットをすると、翌月の電話料金請求書で目玉が飛び出る思いをすることになる。パソコン通信の利用者は、自然と自分の住んでいる地域のホスト局へアクセスするようになる。
すると、同じホスト局には近場の人たちが集まるようになり、自然に自分の近接地域の地域情報が語られ、共通意識が芽生えるようになる。「あのお店で特売やってるんだぜ」「あら実はご近所さんだったのね」ということもしばしば。
上記の記事にもあるように「ハードルを低くしてより一般の、多くの人にSNSを利用してもらう」「社会に貢献するSNSを提供する」という話になると、自然に運用スタイルは地域密着型SNSになる(北海道の町内掃除ボランティアについて、九州の人たちが参加を云々するのも不毛な話だろう)。囲碁や将棋など一見地域性を必要としないSNSだったとしても、「それじゃ一局打ちましょうか」という話になった場合、近場でないとその実現は難しい※。
その意味では、「SNSの普及はコミュニケーションという観点から見ると、技術の進歩による機能の充実はあるものの、パソコン通信時代に求められていたものへの回帰」という結論に落ち着くのかもしれない。
※「近場で無いと」……実のところ、この「距離感」を解決する方法は無くも無い。囲碁や将棋ならインターネット上で対戦すればよい。相手の顔を見ながらやってみたいのならライブカメラを導入すればよい。盆栽とかの品評なら、写真のアップロード機能を併設すればよいだけの話。それでもそれらの機能の利用にはそれなりの「技術」が必要でハードルは高くなる。やはり「不特定多数」向けとは言いがたい。
逆に考えると、このあたりに「SNSの次なる一手」のヒントがあるのかもしれない。たとえば「お達者クラブ」「明るい農村」的なSNSも可能となるだろう。
もちろん「近場の必要が無い」コミュニティ、たとえば「子供の育児に関するノウハウを語り合う」SNSなどなら場所的なハードルは無視してかまわず、技術的・料金的な問題点さえクリアできれば、非常に有意義なものを提供できる。
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