震電復元プロジェクト、本日まで公開中
2006年08月06日 07:00
太平洋戦争中に奇抜なスタイルと高性能さに期待を受けつつ開発されながら、試験運用段階で終戦を迎え、量産・実戦配備されることのなかった日本帝国海軍の試作戦闘機「震電」の形を模したアート作品を作り上げるプロジェクト【震電プロジェクト】によって作り上げられた「震電」アート作品が、本日8月6日まで【渡辺鉄工】で展示される。
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<震電は正確には「九飛十八試局地戦闘機・震電」という名前からも分かるように、練習機などを主に受注していた九州飛行機(今の渡辺鉄工)が開発した、試作の局地戦闘機(敵機の迎撃などを任務とする短距離高速戦闘機)。プロペラを後部に配置するという当時としては斬新なエンテ翼形式の外見や重装備(30mm機関砲4門装備)、生産性向上のために軽合金プレス材の多用をしたことで整備性も高かったこと、さらにはその形状からジェット機への転換も容易なことなどから期待を集めていた。しかし1945年8月3日から開始した試験飛行も計3回を終えたところで終戦となり、日の目を見ることはなかった。
今回のプロジェクトの中心となるのは、京都市立芸術大学彫刻家助教授の中ハシ克シゲ氏。氏は日本をテーマに独自の表現方法を用いる美術家として知られ、この「震電プロジェクト」の前には「ZEROプロジェクト」として零戦をアート作品として再現している。
今回作成された「アート作品」としての震電は、1/48のプラモデルを接写レンズつきの銀板カメラで拡大接写し、現像された25000枚にのぼる紙焼き写真を骨組みに張り合わせていき、実物の震電の形にしていくというもの。リアルさの追求よりは「大きさ・造型の再現」と「芸術品としてのアピール」がメインとなっている。
なお【プロジェクトの進捗を掲載しているブログ】によると、今作品は8月15日の終戦記念日に焼却処分が決定したという。今プロジェクトが「戦争体験者の記憶の掘り起こし」や「世代間の対話のきっかけ」、「戦争の一面に迫る」という主旨の元行われた「芸術行動」である以上、仕方のないところだろう。
架空戦記小説などでは必ずといって良いほど登場する、人気が高く可能性を秘めていた震電。芸術作品としての再現だけでもありがたいが、アメリカに捕獲された試作機のレストアや、再現機の製作がなされないものだろうかと思うのは当方(不破)だけではあるまい。
(最終更新:2013/09/02)
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