冷蔵庫が一杯にある幸せ、物欲? それとも「テトリス」的満足感?
2006年07月14日 05:30
四コマ漫画で展開する随筆的日記ブログ【言戯(ことざれ)】に、「補給線」という題材の四コマが掲載された。その内容に妙に納得し「あるあるある」と同感したので、ちょっと紹介をしてみる。
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この話、新しく買ってきた冷蔵庫に食材を山盛り詰め込んで冷蔵庫の中身が食料で満たされるのを見て、「豊かな気持ちになる」というもの。いわく、「冷蔵庫の中に、たくさん食材が入っていると、明日も強く生きていけるような気がしてくる」という(漫画自身は上記リンクからたどって欲しい)。
どこの家にもある、ごく平凡な日常生活における一シーンに過ぎないのだが、妙にシンクロニティを感じたというかうなづいてしまった。冷蔵庫の新旧に関わらず、その中に各種惣菜や食材、飲み物などがぎっちりと詰め込まれていると、「これなら買い物にいかなくともあと○日はもつな」とか「これだけ食材があると今日はどれを使って料理をしてやろうか、選択に迷うな」という、食の面での贅沢さを実感できるのだ。
下衆な表現になるが、お金に例えるのなら銀行口座の残高を見てその額を再確認することよりも、実際に財布に一万円札の束が入っているのを見て「ああ自分は今、これだけのお金を持っているんだ」としみじみ思い、気分までおおらかになり、気の持ちようも大きくなるという感覚に近い。自分が持っているものが目の前に広がる、体現化されていることで、その充実感も増してくる。
さらに冷蔵庫の中の食材の場合、きれいに敷き詰められることで、「物を満たす」という詰め込み願望の充足もあるに違いない。いわば「テトリス」的発想だ。食材はそれなりに入っているのだけど、どうもここのスペースが不自然に空いていて気になるな……ということがなく、まんべんなく詰め込まれている冷蔵庫は、それだけで偉大さと安心感が染み出てくる、ような気がする。
特に一人暮らしをしていると、冷蔵庫は「生命線」に他ならず、冷蔵庫との対話は自分の食生活に直結する優先事項の一つに他ならない。冷蔵庫の中に詰め込まれた食材の山は、それだけで冷蔵庫そのものに加え、自分の気持ちも満たしてくれるといえよう。
もちろん、下手に詰め込みすぎると冷蔵庫の冷却機能が低下してしまう。また、満足感を得たいからといって何でも感でも冷蔵庫に入れても、日持ちしないものもある。でんこちゃんにも怒られるし、自分自身の健康の危険も考えると、「補給線」の確保による満足感の体感はほどほどにしておいた方がよさそうだ(笑)。
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