「足るを知る」と「賢くなる」と「もったいない」
2006年03月27日 12:20
人口爆発が叫ばれていた20世紀の末頃、西洋文化と東洋文化を比較しながら「東洋文化の考え方でないと資源が食いつぶされてしまう」という考え方があった。曰く「西洋は物質の充足を、東洋は精神の充実を第一に考える。物質は有限だが精神は無限。東洋の考え方で人間の欲望を推し進めていけば必ずどこかで破綻する。だから、どこかで折り合いをつけ、精神的な充実に人間の行動の本質を変えていかねばならない」というものだ。これは仏教の教えにある「足るを知る」という言葉であらわすことができる。
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それなりに納得できる考え方だった。物質的な欲望はキリがない。最近話題の何とかエモンも、結局自分の様々な夢があったにも関わらず、お金という直球的な物質への欲に負け、その欲を留めることができず、悪しき道をたどり破綻した。今件の時点でお縄にならなくとも、いつかどこかで痛い目にあっただろう。
人間はそれほど強い生き物ではない。そして欲望にはキリがない。物質的なモノで夢を満たすと次にさらなるものが欲しくなる。必ずどこかで破綻してしまう。そこで必要になるのが「足るを知る」という考え方。現在の自分の姿をありのままとして受け入れて、それを素直に感謝する。どこぞのドラマではないが「生きてるだけで丸もうけ」というヤツだ。精神は無限。だから、いくらでもふくらますことはできるし、失う心配もない。一言で表すと「悟りを開く」というところか。
この考え方に間違いはないし、納得もいく。だが同時に、その考え方を聞いた時からどこかに引っかかることがあったのも確か。「現状で満足して足るを知ってしまって足踏みしたら、先に進めない。それは単なる停滞、自己満足、ぬるま湯状態でしかなく、何もしないのと同じではないか」。だがなかなかそれに代わる、もっと自分を納得させる考えが見つからなかった。
ところが最近になり、相次いでその答えとなるような言葉を見つけることができた。一つは「賢くなる」、もう一つは「もったいない」。
「賢くなる」。これはお気に入りの不定期連載漫画で語られた言葉。「無駄な贅沢は慎むべきだが何もせず停滞するのも生きている意味はない。前に進みつつ、色々な手を積極的に打ち、事態に立ち向かう。そして同時に不測の事態に備える。これらのような考えを張り巡らし、実践し、生きていくことで、物質面の欲望におぼれることなく、充実した時を安心感と共に過ごせる。これぞまさしく賢くなる、ということに他ならない」という意味。
漫画の作者はそこまで考えていなのかもしれないが、少なくとも自分はそう受け取った。これまで「足るを知るってのは分かるンだけど、どうも積極性に欠けるし、単にぬるま湯で生きてろって言わてるような気がしてならないンだよなあ」と思っていただけに、脳天から足元まで高圧電流が流れたような衝撃を受けた。まさに自分があるべき姿は、この言葉に他ならない、と。
またこれと前後して、例の電気用品安全法絡みで改めて注目されるようになった「もったいない」という考え方。特にある大手新聞社で推進しているのだが、この言葉は意外にも日本にしかない概念だそうな。その意味では、単なる倹約精神とはまたちょっと違う「もったいない」という言葉とその目指すところは、日本人独特のものであり、他国に誇れる美徳なのかもしれない。
この「もったいない」という考え方も、先の「賢くなる」につながるものがある、自分はそう考える。積極的に有効利用を考え、行動に移す。「賢く」ならねばできないことだ。
積極性に欠ける「足るを知る」から一歩踏み出し、「賢くなる」、「もったいない」という考えを忘れずに、目指していく。そしてそれらの考えこそが両者に共通しまた根源に潜む「知識は人生を豊かにしてくれる」というものと密接に結びついてくるのだろう。
そのためにもまずは、「賢く」ならねば。
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