人は「学習」するもの……姉歯建築士、頼まれなくとも惰性で偽装
2005年12月04日 18:00
【Mainichi INTERACTIVE】によると、耐震データを偽装した姉歯秀次一級建築士が、「偽装をクライアントから要求されていない物件でも、勝手に構造計算書を改ざんしていた」と周辺関係者に打ち明けていたことが明らかにされた。計算過程を簡略化し、楽をする目的だったという。一方要求された偽装はすべて、木村建設からのものとしている。
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記事によると姉歯建築士は、偽装を繰り返すうちに「正規の方法よりも速く計算を終えられる偽装の方法で多くの仕事をさばきたかった」としている。さらにクライアントから依頼された偽装については、法律違反なのでできないと断ったものの、「それでもやれ」と強い圧力があったことを明らかにしている。
意見の食い違いや自称「記憶違い」、そして意図的な虚言など、今事件ではよくありがちな「責任回避」の汚いやり取りが日夜報じられている。今件も姉歯建築士の発言がすべて真実であると断定されたわけではないが、それでも本人がどんな理由があろうとも「楽をしたいから」ということで改ざんをした可能性が高くなったことが判明したことになる。
人間が他の動物と違って進化し文化を築けるようになったのは、「時間の概念」を持ち、「学習する」能力を持ち合わせたからだといわれている。特に後者は、どんな事象にでも当てはまる。「楽ができ、短時間で終えられる」という、偽装の方法を姉歯建築士は「学習」し、それを経験として取り入れ、繰り返し、さらに「磨きをかけて」繰り返しただけに過ぎない。恐らくはそうなのだろう。
犯罪にしてもビジネスにしても、そしてその他どんな事象にしても、ベースとして「人間とは学習する動物」であることを前提にしなければならない。特定のパターンで自分にとってメリットとなるような行動を「学習」してしまうと、それを善しとして繰り返し、さらに精錬してより大きなメリットを効率良く得ようと努力することになる。
それが例えば勉学や発明、よき商売など前向きなものであろうと、不法行為や犯罪行為、倫理に反することにおいてでも、だ。「こちらが誠意を尽くせばいつか報いてくれるだろう」「いつかは分かってくれるだろう」という第三者の勝手な思惑など、希望的観測に過ぎないことは歴史がいくらでも証明してくれる。
基本的にこういった、「悪しきパターンを学習」している場合、それがメリットにならないことを自分の身を持って「あらためて学習」しない限り、同じことは何度でも繰り返されるもの。そういった「歯止め」が、今回は間に合わなかったということなのだろう。
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