「後ろの嘘つきだぁれ?」姉歯事件の参考人招致で想うこと
2005年11月30日 19:15
【先の記事(「平気でうそをつく人(たち)」)】や[このリンク先のページ(tokyo-np.co.jpなど)は掲載が終了しています]の記事にあるとおり、11月29日から始まったマンション構造計算書の偽装問題に関する衆議院国土交通委員会による参考人質疑は、新しい事実の露呈と共に関係者による責任の回避、なすり合いが続いている。まさに「後ろの正面だぁれ?」ではなく、「後ろの嘘つきだぁれ?」状態。下手をすると「嘘つきじゃないのだぁれ?」かもしれないが。
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学校ではたいていにおいて、こういった場合は「連帯責任」として全員が罰せられるものだと先生は生徒に教えていた。だが大人の社会になるとその「ルール」がまったく百八十度ひっくり返ってしまうから不思議なものである。むしろ、「ゲーム理論」を用いて一人一人を独立した形で尋問した方が良いのではないかとすら思えてくる。実際には司法権があるわけではなく、「証人喚問」でもないのでそれは難しいが
そう、あくまでも今回は「参考人招致」なので、ウソをついても罪にはならない。「証人喚問」の場合はよほどのことが無い限り欠席はできないし、嘘をつくと議院証言法で罰せられる。
上記の東京新聞の記事において、欠陥住宅を正す会の木村孝弁護士の話として、「建設業界を性悪説に変えることが重要であると感じた」「かつては地場産業であるがゆえに建設業界は性善説が通用した。だが現在は状況が変化している。なのにいまだに性善説で業界が動いているから今回のような事件が起きている」という節が挙げられている。
「人を信用しなくなったらオシマイだね」と意見する人もいるだろう。が、それは「信用すべき人を信用しなくなったら」なのであり、信用すべきかどうかが分からない場合は疑ってかかるというのが正論だろう。莫迦正直になって痛い目にあい、犯罪者が良い思いをする状況は放置すべきではない。「打たれる釘になるくらいなら打つカナヅチになりたい」という一節ではないが。
今件で、この業界に近い知人と色々話す機会があったのだが、「手を抜く」ということは日常茶飯事的に行われているそうだ。だがあくまでも軽い程度のものであり、さらに不文律として「命に関わるところやクリティカルな部分、例えば鉄筋部分や耐久度に関係するところなどは決して手を抜かない」というものがあるそうな。
だが、技術のマニュアル化と世代交代による継承、引継ぎがうまくこなされていない(これは建築業界に限ったことではないが)ため、そういった不文律は伝わらず、「金儲けをするためにはどこでもかまわず手を抜けるところは抜いてしまえ」「結果として経費が抑えられれば数値的に成績をあげられる。それが最優先事項であり、他のことよりも絶対に先に考えるべきことだ」という部分だけを引きついだがために、今回のような結果ではないかという話に落ち着いた。あくまでも推論でしかないが、うなづけるものがあった。
業界は別なれど隔週刊漫画冊子のスペリオールで連載中の『ラーメン発見伝』に、
「ラーメン屋の跡継ぎのラーメンが先代のと比べてまずくなったので調べてみたら、材料の質が落ちていることが分かった。
仕入先は変わっていないのだが、先代は逐一材料の質をチェックし、少しでも仕入先が手抜きをして悪い材料を仕入れると注意していた。だから高品質の材料がキープされていた。だが、それを跡継ぎは知らなかった。
そこで仕入先は少しずつ『怒られないのだからいいだろう』と質にルーズになり、材料の質がどんどん落としていった。それがラーメンがまずくなった原因だった」
という話があった。それと似たような状況なのかな、と思い返したりもした。
それにしても木村弁護士の「日本社会全体が性悪説に変わらないとダメかもしれませんね」という言葉には、悲しいけれど納得しなければいけない現状がここにある。ある政治家が「悪者探しをするのは良くない」と断じたが、むしろ探す必要などないのかもしれない。
(最終更新:2013/09/19)
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